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topjournal PDのこと trip kk news(冊子販売について) profile →cafe full of words - ブログパーツ
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全国ニュースは「大雨でGWの観光地が商売上がったり!人的被害も多数!」と報道を続けるのをよそに、いよいよ南九州と沖縄だけは輝くばかりの晴天に。
この日は絶景、薩摩半島ドライブへ。 ![]() 噴火の瞬間は見られなかったけれど、ぽこっと、「あ、今出たばっかりっぽい」という濃い灰色の噴煙が音もなく上がっていたことがあった。適度なガス抜きをしている鹿児島は、地震が少ない。 この日は世間的にも3連休の初日で、少々の混雑は覚悟していたものの、地方ということで若干たかをくくっており、グダグダの1日になってしまった。まず最初に向かった指宿は大混雑。駐車場にもなかなか入れない始末。 私は、温泉があまり好きではない(温泉に行かないのに鹿児島に何しに行くの?と言われると口ごもる)。入るたびに乾燥肌の私はいろいろ手入れが必要なんである。くわえて、PDになってからは、荷物を手放して裸になるのも怖いし、のぼせて具合が悪くなることもしょっちゅう。同様の理由で銭湯も好きではない。 そんな私が砂風呂ってさ。重い熱い拘束されるの三重苦。オットが行ってみたいというので、見学でもできればいいかなと思っていたが、きっちり入湯券を買って順序通りに入らなければいけないようで、もう嫌になった私はオットにお願いしてさっさと引き返してしまった。 ![]() で、来た道を相当に引き返してたどりついたのは、南九州市の畑の中にぽつーんとある、郷土料理バイキングの店「ゆるり」。一見倉庫にしか見えないけど、鶏飯が絶品。 ![]() 毎日でも食べられる健康おかずたち。これは遠くから行く価値あり! ![]() それから向かったのは、知覧の武家屋敷群。この町並みの中にまだ普通に人が暮らしています。植え込みがもりもりしていて、どの庭園も美しかった。 鹿児島がお茶どころだということを、全然知らなかった私。知覧を車で走っていると、ところどころに立派なお茶畑が見える。ちょうど新茶のシーズン。飲めないけれど、なんだか目によかった。お茶畑って。 道の駅に寄ったりして、緑もりもりの山の中をドライブしていたのだけれど、私はどうしても海が見たかった。本州のいちばん西にある海。 吹上浜では砂の祭典のようなイベントもやっているということで向かってみたが、どうも道に迷ってしまい、日も傾くころたどりついたのは、ひとっこひとりいない、だだっ広い海岸線だった。 ![]() かつて拉致事件も起きたというから、あまりおすすめはしない。 ![]() でも、誰もいない海はとんでもなく美しかった。世界の果てのようだった。 ![]() ![]() 道に迷いオットとケンカしながらたどり着いたその場所で、私は強い悲しみにおそわれた。 ここまで来られたことはうれしい。飛行機だって乗った。どっちにしろ車の運転はできない。 けれどかつて、私は与那国や波照間の海をひとりでプロペラ機や船を乗り継いで見に行っていた。 今は、誰かにお願いしないと私はこの景色を見られないのだ。 (それを幸せなことだと言う人が、わんさといることはわかっている!) 自分の力では見られない景色が増えていく。 苦しくて苦しくて胸がつまりそうだった。 しばらくオットと一緒に旅はしないかもしれないな、と思った。 一人で東京近郊からもう1回、足場をかためてみたい。 ![]() 後味悪くってごめんなさい。空港近くの霧島もお茶どころ。ちゃだましい…? そうそう、もうひとつ心残りなのは、MOKUのケーキを食べられなかったこと! 鹿児島市内にも、いちき串木野市にもあるのだけど(CAFE60)、どちらも営業時間に間に合わなかった。 これ食べるためにも、やっぱりもう1回行ったほうがいいな、鹿児島は。
本州では大雨で被害も出ているというニュースをよそに、鹿児島は雨のピークをさっさと抜け、この日の午後からお天気に。
今回泊まったホテルは、「ホテル&レジデンス南洲館」というところ。古いビジネスホテル&長期滞在者向け施設なのだけど、観光客向けにソフト面でいろんなサービスをしている。お部屋はもちろん古い。普通のビジネスホテル。でも、アメニティがよかったりいろんなオマケをくれたり、温泉と提携してたり。 ![]() 朝食に必ずついてくる豚しゃぶもそのひとつ。ベストタイミングで出してくれて、本当に甘くておいしい!食べ過ぎて昼食が入らなくなるほど。 この日は鹿児島市内をぐるぐるする日。 ![]() とはいえ、鹿児島カルチャーを牽引するはずのここは、少し遠くにある。道を渡ったらすぐ港と桜島。11時くらいに行ったからカフェはまだほとんど動いておらず、うーん、他は…正直、期待はずれ。商品がすごく少ないし。 ![]() 街のど真ん中にあるデパート、マルヤガーデンズ。D&Departmentも入っていて、デパートというより、センスのいいファッションビルのよう。京都の藤井大丸のように旅先だけどなぜか毎回入りたくなる感じ。 写真にはありませんが、地元のデパート、山形屋。私はこっちのほうが好きだったなあ。 デパ地下最高、古くて圧迫感があるはずなのに、なぜか安らぎを感じた。 ![]() お昼は漁港の食堂でカツオ丼。14時ごろ行ってもまだお魚類はたくさんありました。にぎわってた。甘いお醤油はやっぱりダメだった。あれは合成甘味料の味だから別に無理に慣れる必要はないですよ。 この日は5月2日で、連休の中日とはいえ、一応は平日。 なのに、天文館の、まあ、にぎわっていること! 特にあか抜けたお店が並ぶわけでもないのに、老若男女、元気に歩いている。何が目的か謎だけれど歩いている。 地方都市の中心部に、さびれた印象を覚えなかったのは鹿児島がはじめてかもしれない。 地方なのに、みんなちゃんと外を歩き、街に集っている。シャッターもほとんど降りていない。 そして、どこか人々がのんびりとしていて、明るい。 震災の影響を直接受けていないというのも、もしかしたら明るく感じた理由のひとつかもしれない。 正直、私は鹿児島がここまで栄えた都市だとは知らなかった。金沢より田舎だと思っていたことを平謝りしたいですよ。比べ物にならない! スタバが何軒あるとかそんなことは問題ではないのです。人が集っているところは立派な都市。 (路面電車が走っているからさらにオッケー) ちなみに、降灰防止のためもあり、天文館はほとんどがアーケードつきの繁華街なので、雨が降っても歩くのがとっても快適。 ![]() 鹿児島には近年おしゃれなショップが多いわりに、カフェはすごく少ないと思う。そのかわり、こういう昔からの喫茶店や、珈琲専門店、そして近年はワカモノが経営するコーヒースタンドが多い。鹿児島はカフェブームを飛び越えて、東京と同時進行のコーヒースタンドブームが来ちゃった感じ。残念ながらカフェインが取れない私にはほとんど恩恵がないけれど…。 ![]() しろくまといえば、天文館むじゃきが有名らしい。でもここは果物もとても美味しいということでやってきた、喫茶ママ。2人でひとつ頼んでちょうどいい。ママといっても店主はおじいちゃん。 ![]() 町を歩けばすぐに出会う、西郷どん。西郷どん、鹿児島じゃ犬つれてないんだね!上野のご近所散歩スタイルと違ってビシっと軍服なんだね! そう、鹿児島は銅像の街。ちょっと歩けばそこに西郷どんや大久保さんや小松帯刀がいて、ザビエルがいて、斉彬様が奉られている。 いわゆる歴女にはほど遠く、時代劇もまったくといっていいほど見ない私でも、篤姫一回見ていれば「ああ、あの人」とわかる教科書レベルの人たちが、薩摩にはわんさと。 岡本仁さん的、通好みの鹿児島を見に来たはずが、5月の緑に誘われて、結局照国町あたりからわくわく歴史散歩になってしまう。これじゃあ熟年夫婦と同じだ。でも、鹿児島の魅力を知る上で、やっぱり避けては通れないこと。気がつけばオットに暑苦しく幕末の薩摩について語る私。 すごいですよ。鹿児島って。来てはじめて思った。 今となっては地方都市のひとつでしかないと全国的に捉えられているのに、あまりにも特殊。 近代日本は薩摩の人々が作ったといっても過言ではないのに、鹿児島の人は今となってはそれをそれほど声高にはうったえない。 でも、きっと鹿児島人は知らず知らずのうちに、自分たちは、ちょっとした独立国家の人だという自覚があるんじゃないだろうか。沖縄や京都や大阪の人のように。 地形も、あまりにも特殊だ。 天文館のにぎわいも、鹿児島の人たちが、東京や大阪や福岡などの大都市のほうを変に向くことなく、自分たちの街を自分たちで守り発展させてきた当然の結果のような気がした。 自立している都市。自足している都市。そう思った。 ![]() 降灰は、「克灰袋」に入れて、街のあちこちの指定箇所へ。 ![]() 夜は「のり一」の激安さっぱりラーメン。お水系のお店が多い界隈にあるのだけど、夜の世界もまた、やけに明るいにぎわいを見せていた。 そうそう、この日は「広いお風呂に入りたい!」と思い、提携する別のホテルの大浴場へ向かったところ、たまたまそのお向かいにあったのが「ZOOL」。Sunshine+Cloud系列のお店。 倉庫のようにだだっ広く、衣料品を扱うというのに型破りな赤っぽい照明のお店は、こんもりとした山のふもとで不思議な陰影と懐かしさを醸し出していた。
終始、週間天気予報とにらめっこのGW。お天気次第で予定を変えるつもりだったので、ほとんどノープラン出かけた。
飛行機の窓からは白い雲しか見えなかった。 前回の帰省より、乗る前の時間はすっかりリラックス。 ただ、離陸の時、一瞬不安がよぎったので、今回はCAには何も言わないつもりが、いちおう声をかけておいた。 フライトタイムが2時間もあると、ちょくちょく声をかけてくれる。励ましのメッセージカードまでもらってしまった。 ANAさんありがとう。 ![]() CAさんも「でもちょっとわかるんですよ、パニック障害」と言ってた。ぎりぎりの人は多いのかもしれない。 ![]() 飛行機の壁はよく見るとかわいいドット柄です。 ![]() 空港から直接「しょうぶ学園」へ。学園の人が作った,小さなお皿やぽち袋を購入。品数がすごく多いわけではないけれど、ショップ楽し。 ![]() 思ったよりこぢんまりとしていたけれど、とても開放感のある自由な空気の場所。 ![]() パンやさん、生パスタ&カフェレストラン、おそばやさんがあります。otafukuは生パスタのお店。 ![]() ほうれん草とゴルゴンゾーラのパスタ、絶品。パンもほんのり甘くておいしい。 比較対象にはならないかもしれないけれど、私も一応、普通の人とちょっと違う脳を持っていて、日常生活に差し支えが大きい。 ここで思うことはいろいろあった。 国道10号線を走って鹿児島市内へ。 この日はどんより天気だったので、桜島は雲がかかり、「ん?あれが桜島なの?」という感じで感激は少なめ。 (街の近くに山が見える環境には慣れているので) ホテルにチェックイン後、雨が降る前にと、桜島フェリーへそのままレンタカーで乗り込む。 道を走る延長でカーフェリーにすーっと入ることができる。料金は降りる時に払う。日常の足の感覚。 フェリーのデッキに出てみると灰がふってきた。苦しくてちょっと怖くなった。 この時はたぶん小噴火の直後だったか風が強かったかで、いつも降っているわけではないのだろうけれど、目はシバシバするし、マスクに傘が必需品の島の人の生活は過酷そうだった。 ![]() 桜島のローソンはなぜか茶色いのである。 ![]() ほとんど原始の島。でも、ちょっとはずれるといくつかの集落があってちゃんと人も住んでいる。不思議だ。陸続きだから不思議じゃないんだけども。 ![]() 大正3年の噴火で埋まった黒神神社の鳥居。 ![]() 夕飯はオットのリクエストで、「カレーショップ90番」。ゴーゴーカレー系の濃厚な味。この日は夜から雨だったので、市電におそるおそる乗ってホテル付近へ帰る。 ![]() コンビニでも自販機でもよく見たのが、このヨーグルッぺなる飲み物。蒸し暑かったのでよく飲んだ。ペットボトルもあり。味は予想通りです。 2時間フライトをやりとげたご褒美に、samuloのネックレスが欲しいと店を覗いてみたけれど…思ったよりいいお値段で全然手が出ませんでした。いいなあ、いつか欲しいなあ。 ![]() 誰かパリとモナコを買ってきて 鹿児島の写真すらまだアップしていないですけれど。 今、気持ちが「小林賢太郎が好きすぎて生きるのがつらい」状態になっているのでこっちを先に書きます。 横浜、パリ、モナコというおかしな3都市ツアーの横浜公演に行ってまいりました。場所は思い出のKAAT、今回は大ホールではなく大スタジオという、キャパ200人程度のこぢんまりさ。ヤフオクで3〜4万円の値はついたこの公演を、2列目で見てしまいました。神様ありがとう。 率直な感想。 面白かった、大好き! 私は大好きです。 なぜか始まった瞬間から、 「あ、今夜のこの舞台はいつまでも終わらないでほしい」 と思いました。ひとつネタが終わるたびにまだ終わらないでと祈ってしまうほど。 美しくて美しくて不思議で少し切なくて、けれど気負わずに見られて。 映像作品としていつも傍らに置いておきたい。 そしてこの夜のことは宝物としていつまでも取っておきたい。 そんな舞台でした。 正直、1回しか見ないと、私はいつもすぐ内容を忘れてしまうのです。 今回も、見たそばから大オチを忘れていますよ。 でも、いいんです。 たぶん、彼の作品が好きでたくさん見ている人ほど、あれこれ言いますよ。 今回だって、やれ短い、物足りない、笑えない、セットがチープだ、見たことあるようなネタだ、日本人が見たら逆につまんない、後半ダレる、稽古が足りない、荒い、何がやりたいのかわからない、オチが弱い、こんなもので目の肥えたフランス人が納得するのか、とか、もうなんでもかんでも言うと思う。 で、どれも、当てはまると思いますよ。 確かに、短い時間で作ったライトな作品集のようには思った。だからこそ小さい会場なんでしょう。 でも、私は大好き。 日本語を使えないからこそ日本語を取り上げるアイデアには、うならされたし。 真面目な決め顔をするだけでなぜか笑いがこみあげて仕方がない、まあまあかっこいいのにだ、ただ走っている映像だけで笑えてしまうのはなぜ? 森のサラリーマンを彷彿とさせる、あのシュールとしかいいようのないモノトーンの海! 少なくとも私は、伝えたいことがいっぱい入った「うるう」みたいな一つのストーリーよりも、はるかにポツネンさんが好きなんだなあ。 海外で通用するかどうかうんぬんなんてどうでもいいよ、ただただあなたの好きだと思うことを、全力全開でやってきてください。そのことはきっと伝わる!そうアンケートに書きました。 そうそう、カーテンコールの話がまたよくてね。 終始ご機嫌で本人曰く「聞かれもしないことをべらべら喋っ」てくれて。 (あんまり何度も呼ぶのは悪いと思うけどね) 好きなことを好きでいつづける人の心のあたたかさを感じました。 そして、彼は本当に横浜が育てた人なんだね。 高校時代に彼がスケッチしたという、地方裁判所を見て帰りました。 (アンモナイトみたいな不思議な造形だった) 最後のスタンディングオベーションの流れに一応私も乗りましたが、あの拍手は、賞賛というよりは、「がんばってこいよ!」の声かけのつもりです。 ** 実は鹿児島から帰ってきて以来、電車の駅間停車や徐行に多く出くわし、脳がぼろぼろに疲れていて、乗り馴れたの数駅すら乗るのがやっとという日々。 前夜まで、今度こそ横浜に行くのは無理かもしれない、それどころか、もう電車で生活するのは本当に諦めたほうがいいのかもしれない、とまで思うほどの不調に見舞われていました。 去年の今頃はひとりで急行で「ドヤーっ」って感じで帰ってこれたのに、1年たってこの状態なんて…と思うと、生きることにくじけそうでした。一年前の自分が知ったら死にたくなりますよきっと。 (ほぼいつもくじけてます、そういう病気ですもん) 幸い同行の友だちが家の近くからいっしょに各駅停車に乗ってくれて、行き帰りは特に難なくあっというまで。 久しぶりに自分で地図を見て中華街を歩き、「かをり」でお茶して、ルーロー飯食べて、なんだかそれだけで楽しかったなあ。 発症以来、オットの後をついていくばかりの日々だったから、そういう意味ではとても満足。 しばらくは、脳に打撃を与えないようにソロソロ過ごそうと思っています。 自分を愛して、好きなものを愛して、心をあたためていたい。 ![]() メガネをかけるとコメディアン。が、メガネを外すとあまりの格好よさにぶったおれそうになりましたよ、シュっとしてたよシュっと!この歌舞伎顔!
鹿児島へ行ってきます。
羽田から、2時間弱くらいで行ける場所はどこだろう…と考えてのことです。 フライトタイムで旅先を選ぶ女。 実は体調悪し。 春は自律神経失調の季節。気温が急に上がって体内に熱がたまってて、最近は半身浴もかなりぬるめにしないとすぐ気持ち悪くなってしまう。 おまけに、おととい資格試験を吐きそうになりながら受けてきて(あ、試験中は大丈夫でしたよ)、さすがに疲労をまだひきずっております。 脳の錯覚が いつか初期化されることを祈って はこちゃんはトランクの中で遊んでいます。 ごめんよ。シッターさんにいっぱい遊んでもらうんだよ。 めずらしくテレビや音楽のない静けさの中で、走り回ったり歌ったり踊ったりするんだよ。
最も恐れていたその日、その時が来ました。
仕事帰り、軽く腹ごしらえをしてからヨガのクラスに参加しようと、18時半ごろのT急M線に乗っていました。電車は目黒からギュウ詰め。 (いつもは17時半びっちりに仕事が終わってすぐ帰るので、もう少し早くて電車はまだすいています。) 昔、私は通勤ラッシュがむしろ好きな、変わった人間でした。嬉々として混んだ中央線に乗っていました。人にとりかこまれて身体を預けられると、気持ちも楽なのです。 私は緊張しつつも、かつての安心感を思い出そう…とリラックスと緊張の間を行き来しつつ乗っていました。 目的の駅の手前、地下の部分で、電車がガクンと急停車しました。 一瞬何が起きたかわからなかった。 緊急停車は、オットと一緒に、休日、私鉄で地上をのんびり走っている時に、(発症後)一度だけ起きたことはあります。あの時ですらしばらく震えがとまらないくらい怖かったのに、今回のはまさに、状況は最悪。地下、一人、しかもラッシュ。 その時自分がとった行動は我ながら意外なもので、 「すみません、私パニック障害なのでどなたか座らせてください」 と声を上げるというものでした。 幸い、交通横断幕で作った手提げ袋を持った気の良さそうな男性がすぐに席をゆずってくれ、私は座ってひたすら動き出すのを待っていたのですが、なにしろ緊急停車だからどれだけ続くかわからない。 その時思ったのは、「ここで私を取り囲んでいる乗客全員に助けてもらえばいいんだ」でした。 そう思った瞬間に、本当にわずかながら、フッと気持ちがラクになったのです。 呼吸コントロールも、薬の追加投入もしませんでした。ありとあらゆる、「非常時はこう考えよう」と思っていた予想とは、実際には別のことを考えたのです。 電車は1〜2分で動きだしましたが、最も恐れていた事態に出会った感想は、「思っていたより大丈夫だったと認めていいかも」でした。 折しも、私は、実はこの日の午前をもって、ソマティック・エクスペリエンスのセッションに通うのをお終いにしたところでした。 どうしてもセラピストとの相性が合わず、操作されているような、型にはめられているような嫌悪感が広がって、続けられなくなってしまったのです。 効果的な、いい療法だと思っていただけに残念でした。 (ただ、今の日本の状況では、誰かの指導で根気よく続けるのは無理があるとも判断しました) 少し前に、ホメオパシーも一旦辞めています。 こちらも、以前は素晴らしく尊敬できると思っていたセラピストからの、介入や、押しつけを感じるようになったからです。 両者ともに、私に「変わりなさい」というメッセージを投げかけてきました。 よくわかっています。耳の痛い話ではあります。自分が変わらないから、症状は形を変えて何年も私のもとに居座ります。さすがにそこらへんはもう謙虚にはなっています。否定はしません。 でも、「変わろう」と人に言いきかされただけでは、変化はそう簡単に起こりません。 私は昼にドトールでサンドイッチを食べながら、セラピーとセラピストというものから、一度思いきって距離を置こう、と考えたばかりでした。 誰かや何かの療法にすがりつく習慣ができてしまっている。一旦そのハシゴを外すことで、自分で自分をケアして楽しませていくことに徹してはどうだろう。 それは、子どもの頃から人一倍甘えん坊だった私には、厳しい考え方でもありました。 けれど、少し楽しみな未来でもありました。 「パニック障害なので席を譲ってください」と声をあげたとき、私の本意は「席を譲ってください」ではなかった。 「こんな私に気づいて、誰か助けて、誰か認めて」でした。 頑張っている、人一倍苦しんでいる、苦労している私を認めて、気づいて、かまって、助けて、でした。苦しくても通勤しているの。 心理学用語で言えば、それこそが私のスキーマだったのではないか、と思います。 それはもう、子どもの頃からずっと続いてきた。褒められたい。報告を聞いてほしい。認めてほしい。 もちろん、窮地に陥ったことで今回のような乗り越え方をしたことは、決して悪いことではありません。むしろ賢かったと思います。 これからは、誰かを師とすることなく、魔法のような療法に頼ることなく、自分で自分を褒め、楽しませ、生きていこうと思います。 この日までに起こったたくさんのことが、私に「自立しなさい」「自足しなさい」と投げかけていたのだから。 (ここには書きませんが、オットとの間にも、いろいろありました) 電車が少し速度を落とすだけでドキドキが始まる。 このパブロフの犬状態になってしまった脳は、ひとつのきっかけで変わるものではないと思います。 けれど、もうこれ以上、恐怖の上塗りをすることはないんじゃないか、乗れば乗るほど怖くなるピークはこれで越えたんじゃないか。と思えました。 だって、私が電車に乗る時にまさに恐れていたすべてに、もう実際に遭ってしまったのだから。 翌日乗ったO町線は、ゆっくり走っても、以前より少し優しく思えました。 これから、恐怖を積み重ねた時間と同じくらいの時間をかけて、「大丈夫だった」を積み重ねていこうと思います。
悶々としています。
1)試験が今月末。全然自信がない。 2)地下鉄でこわかったことをひきずっている。 3)それにより、夏、ひとりで帰省できる気がしない。 4)腰痛や頭痛、おなかのガス。動悸。花粉。 5)さまざまなおめでた報告(すみません、執着はしてないつもりですが、やっぱり自分の立場を顧みると何やってんのかなと思います) 6)痩せたいが痩せるヒマがない(言い訳ですか) 7)身体をほぐしたいがする時間がない、机にむかわなければならない。 8)バイト代がぜんぜんたりない。 9)天候、気温。 10)娯楽が少ない。人に会ってない。時間が割けない。 11)夫婦関係のいろいろ。 12)セラピストさん(たち)とうまくいかない。 13)はこちゃんがひとりで淋しそうと思ってしまう。 どうも、多くは試験を受けることとつながっているようですね。 一発で合格してなんとか自由になりたいなあ… でも、勉強するのって精神の安定にもなるのです。無駄に時間過ごしてないよ、っていうね。 ![]() 窓辺に飾られているのは、黄色が鮮やかなレモンと、「ツノナス」らしいです。 2002年くらいに「まる捨」について書いた文章はこちら。 2011年末に閉店したそうです。 おそらく店内に入ったのは3回ですが、京都の四条通にはたしかにあのレモンが常に窓辺に存在して、その前を何度往復したかわかりません。 マダムの、年齢を重ねてもキビキビした動きや、痩せた体型、シンプルなタートルネック、きゅっとまとめたヘアスタイルは、私の憧れで、年をとったらあんなふうになろう、とずっと思っていました。 が、2年ほど前にオットと訪れた時、お体がしんどそうな印象を受けたのです。混雑した店内の注文をやっとで受けているという感じ。そういうことでの閉店なのかな、と勝手に思っています。 おばちゃんやおばあちゃんは、新しい店にはなかなか入れません。 でも古い店はどんどんなくなります。 どうか、これから新しいカフェを作ろうとする人は、共通の記号を読み取った人だけが入れる珈琲と焼菓子の店はもういいので、普通の喫茶店を作ることを考えてほしいなあと思います。 (じゃ自分がやれよ)
他のタイトルが思いつかないくらい楽しかったです。
YATSUI FESTIVAL 2012 フェスでした。兵庫慎司さんも書いてましたが、イベントではなく、スピリットのあるフェスでした。 都市の。どこまでも自由な。 一例として、私が渡り歩いたコースはこうです。 baby&cider →社会人Z少し(たまたま)→かせきさいだぁ→いとうせいこう(かせきさいだぁも登場)→エレ片途中から→きゃりーぱみゅぱみゅ少し→兵庫さんDJ→RAMRIDER少し(このへんは休憩タイム)→やつい&宮沢章夫→渋さ知らズ少し→カジくんDJ→曽我部恵一BAND(やつい乱入)→どぶろっくラブレターズキンコメ→小室哲哉少し ええ、きゃりーぱみゅぱみゅや、TKが出てます。 バンドありDJありお笑いありアイドルあり。どんな客層も大歓迎。 私のやついフェス、前半はさいだぁ先生祭り。 さいだぁ先生、きみは3本線時代、ライブで1曲終わるごとに目線を下に向けたまま、ああもう恥ずかしくて死にたい、みたいな顔してステージ上をウロウロしながら必死でMCの時間をつぶしていましたね? そんな男がいまや、大真面目に素晴らしい生音のバンドをつれて、自作の美しいメロディーとリフを歌い上げながらお客さんとハイタッチですよ! 「オレ音楽たのしくってしかたない!」という思いがビシバシと。こんなにパワーアップして復活したミュージシャンが他にいますか。しかもこれは一時の躁状態じゃなくて、たぶん着実に続いていくのです。 満員のエレ片会場に途中からもぐりこむと、インフルエンザで欠席中の片桐仁と、病床スカイプ中継が大画面に。 派手なパジャマのヨーガー仁が和室に横たわっているどアップがO-EASTの大画面に映し出された瞬間の、満場一致の爆笑を、私は忘れないでしょう。 兄と同様、超絶かわいいはるたくんも登場して、ええ、普通にステージでコントするよりおいしかったです。 きゃりーに感心しきりのオットをおいて、DUOの2階席でのんびりDJを聴いたり、NESTのラウンジでやばいトークショーを体育座りで聴いたり、自由自在に楽しめて、そして普通の音楽イベントよりはるかにお客さんの笑い声が多くて、わかったような顔する人がいなくて、本当に幸せな空気だった。8時間の長丁場、渋谷の人ごみに突入するばっかりのイベントなのに、私は最初から最後まで少ない薬で不安なく楽しむことができたよ。 山の中に行って、非日常を味わうフェスもいいんだろうけど、こういうかたちが、これからのフェスの有り様じゃないだろうか? そしてもう、ソカバンの素晴らしかったこと! 1曲目から、客おいてけぼりの激しすぎ新曲から、最後のメロウマインドまで、もうもう最高やったよ、ほかに言葉が見つからん。結婚以来、封じ込めていた何かが、ぷちっと切れて出てきたよ。 私が「やついフェスは、フェス界のTVBrosだ!」とつぶやいたら、何人かのかたから同意をいただきましたが、ちょっとだけ、川勝さんの追悼ぽい感じもしたんだ。私たちは知ってか知らずか、子どもたちなんだね。 来年も、この日を楽しみにしているよ。やれよ。 チケット代2000円くらい上げていいからさ!
初回は年末の東京グローブ座、そして、昨日、銀河劇場へ観に行きました。
自分と自分のまわりの人の初見がひとまず済んだからって、ネタバレ書いちゃうよ。注意してね。 ![]() コヨミさんが出てくるくだり、好きだなあ。 私が一番感じ入ったことは(誰かも書いていた気がしますが)、一見無国籍風の風景や人物にもかかわらず、舞台が日本であると名言されていること。この国で長く長く生きてしまうことの物凄さ。それはさながら、漱石の「夢十夜」のよう。そこから遠く離れてひとりで暮らす、気の遠くなる時間の長さ。「うるう」には2012年の今だから響くメッセージがありました。 そして、一度「誰か」を知ってしまった時に感じるわくわくと、反動でやってくる孤独。それはもう、星の王子さまの、キツネと王子さまの関係のよう。自分はオバケではないと言い張っていたはずが、人を避け始めた瞬間に、本当に森のオバケになってしまうヨイチの切なさ。 小品だとは思いますが、圧倒的な美しさです。都市のイメージがある小林賢太郎が森の世界を描いたのは意外でしたが、とても似合っていました。思えば、グローブ座の3階席からながめた透明の畑はきらきらと光っていた! 前半は言葉あそびが巧みで文字に起こしたいくらいだし、ウサギの影絵の躍動感は素晴らしいし、もうびっくりなのは小林賢太郎の「声」ですよ。あんなに張りのある声を私は他に聞いたことがないです。あれはボディも動きも美しい優れた楽器です。さらに、チェロの旋律が盛り上がるほどに、目がキラッキラに輝き出すんですよ、何こいつ!?泣いてんの!?カーテンコールでニタっと笑ってるこの生き物何よ!? 小林賢太郎は存在そのものが光る森のようでした。 あなたもわたしも、あの森からしばらく帰ってこれません。 * さて、ここからはちょっとクドクドしたことを書くので、マニア以外は黙殺してね 笑 年末に公演2日目の舞台を見てから、実はずっと悶々としておりました。 見た人見た人が「泣けた」とツイッターでつぶやいているのを見ては、私はグローブ座へ行って何を見て来たのか?何も見ていなかったのか?と自問していました。 理由はふたつ。 1)「SPOT」の「うるうびと」で重点的に表現したように、「いつもひとつ足りない、いつも一人余る」がテーマの前半と、「ヨイチは実際に4年に一度しか年をとらない」がテーマになる後半が、大きく分離しているように感じたこと。 2)ラストのオチの核がよくわからなかったこと。ヨイチとマジルが最後に同い年になることは途中で気がついたし、それだけがオチなんだとしたら、「へっ?それだけ?」 また、3階席で見たこともあり、歌いすぎ賢太郎が必死で歌うほどに、ここは笑うところなのか泣くところなのか、会場の空気に入り込むことができないまま。そして舞台を俯瞰しながら「目と耳に美しい世界だったなー」という感想で終わっていたのでした。 だから、2回目は、確認のために必要で観に行ったようなものでした。こちらはI列。 結果としては、1)も2)も気にならなくなっていました。 1)に関しては、自分が話の筋を知っているからなのか、気づかないうちにディテールを変えたのかはわかりません。それよりも、4年に一度しか年をとらないというのは設定のひとつにすぎなくて、「取り残されていく孤独」を一貫して表現しようとしていることが伝わってきました。 2)に関しては、おそらく演出に変化がありました。実は、最初に見たとき、ラストに右上の数字が0から1に変わることを気にもしていなかったのです。それが、劇中にちゃんと「僕の友だちの数はゼロから1になることはない」と、しっかり指でかたちを作って伏線を張っていた(もしかしたら最初からそうだったのかもしれない)。 そして、最大の変化は、青弦さんが最後に帽子をちょこんと持ち上げて挨拶するところで、青弦さんとマジルをはっきり一体化させたことが伝わったこと。つまり、「青弦さんが実はマジルだったんだ!」(そうでないにしろ、そう捉えられる)という大オチができた。最初からそれを暗に伝えていたのかもしれないけれど、これがあるとないとでは大違い。(少なくともグローブ座では私んとこ伝わってなかったよ〜) * まだしばらく心は森に置いておきたいところですが、明日はやついフェス。 一週間でラーメンズ制覇できると思ったのに、片桐仁インフルで欠席、やってくれるねえ。
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